1995年に公開されたスタジオジブリの名作「耳をすませば」。雫と聖司の青春物語に胸がドキドキした人も多いのではないでしょうか。
今回は「耳をすませば」の原作について徹底解説します!
これを読めば、「耳をすませば」がもっと面白くなること間違いなしです。ぜひ最後まで読んでいってくださいね。
「耳をすませば」には原作があった!
スタジオジブリの作品には原作がないこともありますが、「耳をすませば」には、実は原作があります。
それがこちら。

原作の雫は、映画よりどこか少し幼い印象ですね。
「耳をすませば」の原作者は柊あおい先生

「耳をすませば」は柊あおい先生の少女漫画が原作でした。元々は1989年8月号から雑誌「りぼん」に連載していた作品だったんです。
柊あおい先生は、「耳をすませば」の他にも「星の瞳のシルエット」や「銀色のハーモニー」といった作品を発表している、人気少女漫画家です。
「耳をすませば」の映画化は、宮崎駿監督が原作の読者だったことから決まったのだといいます。宮崎駿監督は日頃から映画づくりのネタ探しのために、いろいろな少女漫画を読み漁っていました。
その中で作品としてのバランスの良さが評価されて、「耳をすませば」に白羽の矢が当たったのです。
「耳をすませば」の原作は打ち切りになった?

「りぼん」に連載していた「耳をすませば」は、第4回の連載をもって打ち切りになってしまいました。連載当初はあまり人気が出なかったようです。
しかし、宮崎駿監督から映画化の話が持ち込まれ、柊あおい先生はとても驚いたといいます。
「耳をすませば」のあらすじ

映画「耳をすませば」と原作の違いを解説していく前に、まずは映画「耳をすませば」のストーリーをおさらいします。
中学3年生の月島雫は、本を読むことが大好き。図書館で本を何冊も借りるうち、自分より先に必ず本を借りている人物がいることに気が付きます。その人の名前は「天沢聖司」。
雫は一体どんな人なんだろうと期待で胸を膨らませていました。
ひょんなことから雫は「天沢聖司」の正体を知ります。天沢聖司とは、自分が日本語訳をした「コンクリートロード」のことを馬鹿にしてきた人物であると発覚するのです。
雫は最初は驚きますが、聖司の人となりを知るうちに次第に惹かれていきます。聖司がバイオリン職人になるという夢を抱き、イタリアへ修行することを考えていると知ると、雫は尊敬の念を抱くとともに自分も夢を見つけなくては、と焦ってしまいました。
雫は、聖司に追いつけるよう、物語を書くという自分の夢にむかって一直線に努力し始めて…
「耳をすませば」は、がむしゃらに夢を追いかける雫と聖司の姿、純粋な心で惹かれ合う二人の淡い恋模様が美しい物語です。
>>『耳をすませば』の名言17選!心がじんわりあたたかくなるセリフ達
「耳をすませば」映画版と原作の違い

「耳をすませば」は映画版と原作で違いがたくさんあります。今回は映画版と原作を比較して、それぞれの面白さを解説していきます。
「耳をすませば」映画版と原作の違い①:登場人物の設定の違い
まずは、登場人物の違いについて説明していきます。
①月島雫

映画版で雫は中学3年生で受験期真っ只中でしたが、原作では雫をはじめ聖司など同級生は中学1年生という設定でした。
これは宮崎駿監督が、受験という人生における大きな出来事が、雫と聖司の恋を阻む壁として存在した方がよいと考えたからだといいます。
また原作「耳をすませば」では、自分より先に必ず本を借りている聖司に対して恋心を抱く、夢見がちな王道の少女漫画の主人公らしい姿として描かれています。一方でまた映画版「耳をすませば」の雫は、聖司とともに夢に向かって努力する姿が印象的でした。
②天沢聖司

聖司もまた雫と同様に、原作では中学1年生でしたが映画では中学3年生です。外見も性格もよく、誰もが心惹かれるキャラクターをしています。
原作では、聖司の夢は「画家」。絵に描いたような王子様が聖司です。
少女漫画らしいヒーローの描かれ方をしていました。「画家」を目指してはいるものの、映画にあるようなひたむきに努力をする描写はありませんでした。
一方映画版「耳をすませば」では、バイオリン職人を目指しており、職人気質な性格が付け足されました。
壮大な夢に向かってがむしゃらに努力する、芯の強さも映画版の聖司の魅力となりました。
③月島汐

雫の姉である月島汐。原作では高校一年生のおっとりした性格の姉として描かれていました。
一方映画版「耳をすませば」では、受験勉強をやめてまで物語を書く雫を強く叱責する、責任感の強い大学生として登場しています。
④ムーン

雫を「地球屋」まで導き、聖司と心を通わせるきっかけを作ってくれた猫、ムーン。原作ではムーンは黒猫として描かれていて、姉猫の「ルナ」がいました。
しかし、映画版では「ルナ」の存在は全カット。ムーンは左耳に斑のあるずんぐりむっくりした体型の猫として登場しました。
これは、宮崎駿監督が「魔女と宅急便」に登場するジジとのキャラ被りを避けるために決定したとされています。
>>猫に注目したら『耳をすませば』がもっと面白い!登場する猫たちと『猫の恩返し』の関係
⑤天沢聖司の兄(航司)
聖司の兄、航司。原作では雫の姉、汐と恋人関係にあり、写真を撮ることが趣味な人物でした。
しかし、映画版「耳をすませば」では、航司の存在は全カットされています。
「耳をすませば」映画版と原作の違い②:ストーリーの違い
続いて、ストーリーの違いについて解説していきます。
①「カントリーロード」の存在

映画版「耳をすませば」と原作における、大きな違いの一つは「カントリーロード」の有無です。
映画では欠かせない存在であるこの「カントリーロード」。これは原作には全くない、映画オリジナルのものです。
雫が翻訳したという設定になっているこの歌は、「耳をすませば」の舞台となっている街をどこか彷彿とさせます。
未熟な若者が夢を追いかけて故郷を旅立つという歌詞は、雫や聖司の心情を歌っているようで、映画に深い味わいを与えていました。
>>泣ける!『耳をすませば』の主題歌「カントリーロード」の歌詞に込められた意味を解説
②リアリティ

映画版「耳をすませば」と原作のストーリーの違いとして、リアリティも挙げられます。原作「耳をすませば」は少女漫画だからこそ、良い意味でリアリティがあまりありませんでした。
ふわふわとしていて夢見がちな雫と王道のかっこよさを持つ聖司の恋模様は、原作の主な読者である女子中学生にとっては理想そのもの。恋に悩む若い女の子の心理描写が主なテーマで、現実はさておき胸をキュンキュンさせるにはもってこいの作品でした。
一方、映画版「耳をすませば」には原作の胸キュン要素に、リアリティが付け加えられました。主人公雫たちの年齢が、中学1年生から中学3年生へ変更されたことも、物語のリアルさの追求によるものです。
進路を決定せざるを得ない重要な時期にあるからこそ、将来への不安が雫たちを襲い、夢を追いかけ挑戦する姿が胸を打つ作品になりました。
雫と聖司の恋模様だけではなく、誰しも経験のある「将来の夢に対する不安と挑戦」がテーマとして組み込まれたことによって、作品に現実味が加わったのです。
「耳をすませば」は映画版も原作も違った面白さがある

今回の記事では、映画版「耳をすませば」と原作の違いを紹介してきました。少女漫画としての意味合いが強く、ファンタジーな胸キュン作品である原作。
リアリティを追求し「将来の夢へがむしゃらに努力する」ことの重要性をテーマに組み込んだ映画。どちらも違った良さがあり、違った楽しみ方ができますよね。
映画版「耳をすませば」と原作を比較したことで、もっと映画が面白く感じるかもしれませんし、新たに原作の面白さに気づく人もいるかもしれません。
どちらも素敵な作品なので、この機会にぜひ映画も原作も改めて楽しんでみてください。
>>知ってた?「耳をすませば」その後の展開を知って何倍も面白くなる!
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